私のバイブル「それでも人生にイエスという」について#その2

おひとりさま日記
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目次

苦難にあったとき、それに対する見かたを変えるだけで、その苦難をのりこえる勇気を与えられることがあります。

私は、それを体験しました。

皆さんにも、お伝えしたいことです。

コペルニクス的転換とは

コペルニクスは、それまでの常識であった地球中心説「天動説」に対して、太陽中心説「地動説」を唱えた天文学者です。

コペルニクス的転換とは、そこから派生して、物事の見方が180度変わってしまうような場合にも使われるようになったそうです。

私が読んだ「それでも人生にイエスという」には、自分の人生に起こった苦難についての見方を、180度変えてしまうことが書かれていました。

苦難に対する考え方を180度転換する

私は、夫の事故という苦難に対して、「どうして私だけがこんな目にあわなければならないの?」と、ずっと自分のおかれた状況を恨んでいました。

自分の人生にこの先なにが期待できるのだろう?
この先どうなってしまうのだろう?

と、不安感でいっぱいでした。

しかし、私は、人生にまだ何を期待できるか」ではなく、

人生(天)は、私になにを期待しているか」と考えることを、フランクルは提唱しています。

自分を中心に考えるのではなく

人生(天)を中心に考えるわけですね。

高貴な不幸

夫の事故により絶望している私は、まさに「コペルニクス的な考え方の転換」をもたらされました。

そうか、わたしがこの苦難を受けたのは、「人生が私に問いを出して、私にその問いの答を出せと提起しているのか」と。

さらに、作者フランクルは述べています。

困難に対してどのような態度をとるかということのうちに、その人本来のものが現れ、また、意味のある人生が実現される。

不幸に苦悩する意味があるのは、その不幸が運命であって、回避できない場合だけ。
そうした、不幸は「高貴」な不幸と呼ばれている。
そのような「高貴」な不幸に耐えて苦悩することで、人間は高貴にされる。

夫の事故という回避できない運命を耐えることにより、私は高貴にされるのか?

この考え方は、私に自尊心を復活させてくれました。

これまで被害者であるのに、まるで自分が悪いことをしたような隠遁生活をしていた私に、自信を与えてくれたのです。

運命を引き受ける

フランクルは、ナチスドイツの強制収容所に入れられました。そこでは、想像を絶する苦難を味わったことでしょう。毎日が死との隣りあわせだったはずです。

そのような極限状態でありながらも、それに対する人の心のもちよう、人間の精神的な高貴さを保つすべを見出したのだと思います。

人はどんな場合にも、自分の身に起こる運命を自分なりに形成することができる。
運命を変えることができるなら変える、それができないのなら進んで運命を引き受ける。

そのことが、人生に与えられた使命だと、この本から教えられました。

人生のバイブル

「それでも人生にイエスという」日本語の表題は、まさに今まで述べたことを象徴していますね。

「それでも」 → どんな状況に置かれたとしても

「人生にイエスという」→ 自分の人生を否定しない、受け入れる、それは人生(天)が自分に期待すること

私はこの本を読んで、こうして復活することができました。

その後もくじけそうになった時、たびたび読んでは自分を鼓舞し、いろいろな困難に立ち向かっていけることができました。

まさに、「人生のバイブル」です。