夫の葬儀に「歓喜の歌」を流した理由 その2#ベートーベン第9

おひとりさま日記
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2021年の元旦は例年どおり、菩提寺へご挨拶にうかがいました。
そこで、今年は夫の7回忌だということを教えていただきました。早いものですね~

歓喜の歌とは

ベートベンの交響曲第9第4楽章は、交響曲に初めて合唱を取り入れた作品とのことです。そして、合唱歌詞は詩人シラーの詩です。
かいつまんでお話しすると、ベートベンはシラーの詩に感動して、自分の交響曲に取り入れたんだそうです。

みなさまも、一度は耳にしたことがあると存じます。有名な曲ですよね。

それでは肝心の
私が、夫の葬儀に「歓喜の歌」を流した理由を表す部分を記しますね。

おお友よ、このような旋律ではない!
もっと心地よいものを歌おうではないか
もっと喜びに満ち溢れるものを(ベートーベン加筆)

歓び、それは美しい神々の火花
それは楽園の乙女
私たちは、神々の火花に魅惑され入っていく
(中略)
ひとりの友の友となるという、大きな成功を勝ち取った者は
自身の歓喜の声を合わせよ
(中略)
そうだ、地球上のただひとりだけでも
心を分かち合う魂があると言えるものも歓喜せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

ただひとりだけでも友が存在すれば、人生は歓喜に値する

夫は、7年間意識不明の寝たきり生活をしていました。当然のことながら、職場や近所そのほかの社会活動から一切遮断されていました。要するに社会的には「いない存在」になっていたのです。

それでも、夫と友人関係を続けてくれた人たちがいました。

それは、夫の大学時代の友人AくんとBくんです。

夫が交通事故に遭って数日後、2人から久しぶりに電話がありました。
「ナオキいる?近くまで行くから、一緒に飲もうと思って。」
「久しぶりに話したくて。」

事故のショックで打ちひしがれている時に、本当に偶然にも2人から連絡があり、私は「夫が呼んでくれたんだ」と感じました。そのくらい、タイミングが合ったのです。

私は、夫と同じ大学の同級生でしたので、私の友人でもあるその2人は、ことあるごとに、私たちを気遣ってくれました。
ひとりは遠く東京から、時々病院や施設に寄ってくれていました。
私も落ち込んだり悩んだりしたときに、2人に相談をしていました。


前述のように夫の葬儀をやると決めたはしましたが、7年間も寝たきりで、社会的には「いない存在」になっていた夫の葬儀に、いったい何人の方々が参列して下さるかまったく予想できませんでした。

それでも、その2人だけは葬儀に参列してくれると確信できました。
7年間夫があのような状態でも、ずっと友達でいてくれた。

それだけで十分だと……


それだけでも夫の「生きた証」がある。

そして、せっかく夫の葬儀をやると決めた以上、納得できるものにしたいと思いました。
夫を送る曲を、元気だった夫と一緒に行った最後のコンサートで聴いた思い出の曲、ベートーベンの第9第4楽章を流したいと思いついたのです。

その歌詞は偶然にも、私が感じた夫の「生きた証」を、さらに後押ししてくれるような内容だったからです。

ひとりの友の友となるという、大きな成功を勝ち取った者は
自身の歓喜の声を合わせよ


腹をくくった歓喜の歌

これだ!この歌こそ夫を送る曲にふさわしいと、私は思いました。

葬儀は仏教なのに「神」がでてこようが
葬儀に「歓喜」ってなに?と思われようが

そんなことはどうでもいい。


友がいるということ、それが彼の「生きた証」
すなわち歓喜なのだから……

思いがけなかったこと

思いがけなかったのですが、通夜・葬儀ともに、本当にたくさんの方々にお集まりいただきました。
席に座れずに立っておられる方も多く、大変失礼をいたしました。

夫の、もと職場の方々
ボーイスカウトの指導者をやっていたのでその関係の方々
ボーイスカウト時代の教え子(お父さんに連れられてきてくださいました。)

そして、私の仕事関係の方々や友人たち
2人の息子の友人たちも



もちろんずっと夫と私を見守ってくれていたAくんとBくん


多くの方々に見守られ「歓喜」に包まれて、夫は旅立ちました。

きっと、皆さまに心からの「ありがとう」と「お会いできて嬉しかった」をお伝えしたと思います。

これが、私が夫の葬儀に「歓喜の歌」を流した理由です。