私のバイブル「それでも人生にイエスという」について# その1

おひとりさま日記
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本日は、私の「人生のバイブル」についてご紹介しようと思います。

出会ってから10年以上、苦しいときや悩んだときなど、今でも時々読みかえしています。

その本は、

V.E・フランクル著 「それでも人生にイエスという」です。
(Viktor Emil Frankl)

本との出会い

私の夫は、2008年(平成20年)12月に、職場の忘年会帰りの徒歩横断中、車にはねられてしまいました。当時46歳でした。

深夜、病院から突然の電話。あわてて息子2人とともにかけつけ、2時間以上待合室で待たされて医師から言われたのは「もうご主人は、社会復帰できないでしょう」との宣告。

医学的には遷延性意識障害(いわゆる植物状態)でした。

絶望する私に追い打ちをかけたのが、加害者が自動車保険「無保険」だったという、後で判明した事実でした。

それからは、本当に地獄の日々でした。

事故処理。夫の看護。当時高校1年と中学2年の息子達の世話。自分の仕事。家事。
1日1日をやっとの思いで過ごす日々。

息子達には不安を抱えさせてはいけないと、以前と変わらない日常生活を維持するように務めていました。

でも、心の中では、叫んでいたのです。

「どうして、私がこんな目にあわなければならないの?」と。

先の見えない不安感で一杯になり、時には押しつぶされそうになりました。

そんなときに偶然、まるで何かに吸い寄せられるように出会ったのが、この本でした。

作者について

作者のフランクルは、ドイツの精神科医。

ナチスの強制収容所に入れられ壮絶な体験をしながらも、無事に生き延び
有名な著書は、日本語訳では「夜と霧」(強制収容所における一心理学者の体験)

私が出会った「それでも人生にイエスという」は、強制収容所から解放された翌年ウィーンの市民大学で行った講演を本にまとめたものだそうです。

自分の運命を呪いたくなるとき

人は、誰でも自分ではどうすることもできない運命に陥ることがあります。

病気
事故
事件に巻き込まれる など……

そういうとき、人は「どうして自分なのか?」
他の人は、何事もなく幸せそうなのに「どうして自分だけが、こんな不幸を背負わなくてならないのか?」

そんな思いに駆られる時が、あるのだろうと思います。

私も、まさにそうでした。

夫が事故に遭った時、自分が今まで付き合ってきた友人・知人たちのいる場所から、いきなり川向うに飛ばされて「まるで違う場所の人間」になってしまった感覚に襲われました。

ですから、買い物もいつものスーパーに行けず、わざわざ遠くのスーパーに行き、できるだけ知っている人に会わないような生活をしていました。

精神的に、不幸に押しつぶされていたのです。

でも、この本を読んだとき、私は徐々にではありますが、復活できたのです。

それは、フランクルが主張する「苦難に対するコペルニクス的発想の転換」のおかげです。

つづく……

Photo:愛犬 まつ(享年16歳でした)