夫の葬儀に「歓喜の歌」を流した理由 その1#ベートーベン第9

おひとりさま日記
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2015年7月に、私の夫は52歳で亡くなりました。
当初はごくごく身内だけの「家族葬」にするつもりでした。交通事故により、7年間寝たきりの植物状態の末亡くなったので、急に「こういうことで夫が亡くなりました。」とまわりの方々に知らせるのが、自分自身忍びなかったのです。もしくは、世間体を気にしてしまった、というのが正しいかもしれません。
夫のことは、親しい友人にも(一部は除く)、もちろん仕事関係者にもずっと秘密にしておりましたので……
「知らせるのが、かえって迷惑をおかけするのではないか?」と。

勇気をくださった関与先の社長様の言葉

そんな状況でしたが、自分自身とても迷いもありました。ここで公にしないと、みなさんに知らせる機会を失ってしまうのではないか?
そこで、関与先のとある社長様に思い余って相談をしてしまいました。今までの経緯を包み隠さず。
そうしたら、その社長様はとてもびっくりされながらも「自分は、野島さんは同じ仕事仲間だと思っている。その仲間の大切な人が亡くなったというのなら、お悔やみに行きたいと思う」と、おっしゃってくださいました。

その社長様のお言葉に背中を押され、私は夫の葬儀を「通常どおり」執り行うことに決めました。夫の元の職場関係者・知人・友人・私の仕事関係の方々(しかし、遠方のお客さまにはご迷惑をおかけするので、あえてお知らせしませんでした。)税理士仲間・友人など…にお知らせしました。

葬儀に「歓喜の歌」を流した理由

亡くなった夫と私の思い出の曲は、ベートーベンの交響曲第9です。それはなぜかというと、彼が事故に遭う2日前、たまたま2人で行ったコンサートが第9のコンサートだったからです。夫婦2人で一緒に聴いた最後の曲となってしまいました。
そのコンサートのことは後述するとして、私は夫の葬儀に、第9の第4楽章「歓喜の歌」を流すことを選択しました。というか流したかったのです。(葬儀なのに「歓喜」です!)

その理由は、第9の第4楽章の合唱の歌詞に込められています。次回述べたいと思います。

あとがき

2020年、今年はベートーベンの生誕250周年だそうです。
本来ならば年末のこの時期、日本では第9のコンサートが各地で行われていたと思います。
でも、みなさまご存知のとおり「コロナ禍」でそれも、ままならない状況ですね。
個人的には第9にとても思い入れがありますので、特別な年のコンサートに行きたかったな~

つづく………